■期間/2015年8月1日[土]〜 7日[金] 【初日】12:00~20:00 【最終日】9:00~19:00
■場所/広島県民文化センター B1F展示室 入場無料
F100『悲憤』
8月6日原爆の時、あの日、8歳の少年だった私の、一番印象に残り、
そしていまだに脳裏に焼き付いて離れないのは、
すべてが黒焦げとなった暗黒の世界の中で、
人間の目玉の白さだけが異常に光を放っていたことです。
大前 博士
大前博士28 歳の時に開催された初の個展「ヒロシマ・アッピール平和公園野外展」は、彼の幼いころの原爆体験のイメージを、抽象的にキャンバスに表現したものでした。この個展では、反響も大きく多くの方々にご覧いただきました。しかし、作品の未熟さ、自身の表現力の限界を感じ渡仏を決意。以後、50 年の長きに渡り自身の原爆体験を封印。
渡仏後は、対極にある「癒し」をテーマとし、常に眩しいばかりの陽光、澄み切った空気、その色彩世界を追いかけ、題材を南仏、イタリアから地中海の風景に求め、パリで研鑚を積んでいきました。
しかし、それから半世紀を経て、原爆体験者も数少なくなってきた現在、今こそ描かなければならないのは自身の被爆体験であると強く感じ、長い間の封印をとき、画家大前博士の集大成としてこの個展を開催することを決意しました。
夜明け、破壊そして再生へと続く一連のストーリーとなる連作20数点、これは単なる原爆の絵という枠を超え、自身の体験と戦い、迷い、生きてきた一人の画家の魂の叫びであります。
わずかに数点残る50 年前の絵と、100 号~120 号の連作「ヒロシマ黙示録」を展示いたします。
ひとりでも多くの方に、大前博士の魂の叫びをご覧いただきたく思います。
1937年 広島に生まれる。現在広島市在住。
8歳の時、広島市で爆心地より2㎞の地点で被爆。
28歳、初の個展「ヒロシマ・アッピール平和公園野外展」を開く。
1969年 渡仏。
1972年 アーティスト・フランセーズ受賞。サロン・ド・トーヌ入選(1977年まで毎年)
1973年 新しい具象ニューヨーク展招待出品(ニューヨーク)
1995年 サロン・ド・トーヌ会員上海展招待出品(中国)
1998年 日本の秀作美術展招待出品(アルゼンチン)
1997年、2000年、2001年 日仏現代作家展招待出品。
1991年~2008年 カンヌ、パリのアトリエにて制作活動。
東京、広島をはじめとする国内各地で、現在に至るまで数々の個展を開催。
1965年 大前博士(28)
「原爆の時、あの日、一番印象に残り、そしていまだに脳裏に焼き付いて離れないのは、すべてが黒焦げとなった世界の中で、人間の目玉の白さだけが異常に光を放っていたことです。」(大前博士)
〈主催〉大前博士展 ヒロシマ・アッピール2015 実行委員会
桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部を卒業後、ニューヨーク・ドイツ・パリの各音楽院にて学ぶ。2002 年ルイージ・ラッコニージ国際コンクール第2位。2009 年2nd アルバム「ファンダメンタル・ノート」をリリース。国内外で数多くのコンサート・音楽祭へ出演してる。また、パリのリッツホテル、メインキッチンでのフランス料理修行を経て「音と食のコンサート」シリーズなど独自のコンサート企画を展開している。月刊「百味」の連載、「新潮45」への掲載などエッセイを執筆中。
大前知誇 公式HP&ブログ www.chika-omae.com
桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部卒業。第1回東京室内楽コンクール第1位、第5回パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクール最高位。2009 年にアフィニス文化財団の海外派遣研修員に選ばれ、ニューヨークへ留学。現在、㈶東京都交響楽団首席ヴァイオリン奏者を務めている。